多和田葉子『夜ヒカル鶴の仮面』2021年秋

2021年10月30日@京都芸術大学春秋座搬入口 終了しました。

リサーチ・アシスタント斎藤明仁さんによる稽古場ブログと研究会レポートはTMP(多和田/ミュラー・プロジェクト)websiteからご覧ください。

photo by Manami Tanaka

多言語の夢 ~『夜ヒカル鶴の仮面』上演に向けて~

 知らない言語を聴くのは楽しい。電車の中でも、道端でも、夢の中でも、慣れない音やリズムが聞こえてくると思わず聞き入ってしまう。目を閉じて町を歩くのに似ている。触れたものが何かを知りたいというよりは、そのものに出会った感触だけを楽しむ。言葉が意味から離れて、音楽と声になる時。

 2012年ごろから想い描いてきた多言語の演劇と、多和田葉子さんの戯曲『夜ヒカル鶴の仮面』が結びついたのが2019年の夏。アーティストたちと稽古場で言葉を探しながら多言語の上演を目指そうと、タイの俳優・パム(Setsiri Nirandara)、マレーシアの音楽家・フィッシュ(Lim Yun Xin)、香港のダンサー・テリー(曾景輝)、そしてここ数年たくさんの上演を一緒につくってきた滝本直子と5人で京都で滞在制作をするプランをつくった。“劇場実験”という可能性の元に、めちゃくちゃに散らかった言葉のおもちゃ箱のようなお通夜の演劇をつくろうと思った。弔いの仕方を忘れてしまった人たちが、その言葉を探す旅。

 新型コロナウィルスの世界的な感染拡大を受けて、企画を2020年秋から2021年の秋に延期し招へいの可能性を待った。実現のためにどういう状況を整えるべきか、京都芸術大学舞台芸術研究センターのみなさんの心強い伴走をいただきながら、アーティストたちと連絡をとり続けた。入国に向けての準備もしていた。しかし現状では日本に来てもらうことは難しいと判断し、今年の秋の上演に向けては国内にいるメンバーで制作をすることに決めた。不安定な状況の中で、企画実現に向けて動いてくれた企画協力者たち、紹介者の方々、そして多言語版プランを楽しみにしてくださり、国内版の上演に向けても応援のメッセージをくださった多和田葉子さんにあらためてお礼を伝えたい。

 結論をギリギリまで引っ張りながら、引っかかっていたのは“多言語”ということだった。企画に掲げたキーイメージがこの1年半ですっかりその性質を変えてしまったことに戸惑っていた。私にとって多言語の演劇とは謎解きのような不思議な魅力を持つ遊びの演劇だった。わからない言葉、美しい響きの中でどこか違う方向に紛れ込んでしまってもいい、多和田さんの小説を読んでいる時のよう。ところが、今、多言語にはその朗らかな遊びのイメージがなくなり、代わりに人の属性を切り離して消費するような嫌なラベルのようなものがべったりと貼られたように感じて、息苦しく思うようになった。しばらく、このイライラが続くだろう。

 不安と息苦しさを抱えたまま、友人たちに連絡をとりはじめた。「ちょっとお願いがあるのだけど、今、多言語の劇の準備をしてるんだけどね、アーティストを呼ぶのが難しくなりそうで、それで、オンラインでお葬式と結婚式についてのインタビューをしたいのだけど……」とメッセージを送る。「結婚式場でカメラマンやってたって知ってた?」とか、「じゃあ、日本のごはんを画面越しに準備しておいてね」とか、そんな返事をもらう。東京で、沖縄で、香港で出会った人たち。どこか別の場所、たとえばシンガポールや韓国や台湾でまた会って、一緒にご飯を食べる人たち。行ったことのない部屋の風景を見ながら、近づけない距離を感じながら、知っていることを話してもらうというよりは、弔いという行為が何を必要としているのか、婚礼という行為が何を意味しようとしているのか、一緒に考える時間。町の中で結婚式を見かける? 通りかかったら何かすることある? じゃあ、お葬式は? お隣の人が亡くなったって、どうやってわかる?

 同時に、この「劇場実験」の醍醐味である研究者チームとのやり取りも活発になった。研究代表の谷川道子先生には企画全体を力強く引っ張っていただき、小松原由理さんと斎藤明仁さんのスピーディーかつスリリングな進行で、「多和田葉子の演劇」をめぐる研究会が始まった。オンラインで時を共にしながら、戯曲『夜ヒカル鶴の仮面』を解きほぐし謎を楽しむ。これから制作に取り組む俳優たちにも加わってもらい、通常の稽古開始前では考えられないほど多くの人と対話をしながら、このプロセスがもう「つくる場」になり始めている。

 ないものをつくろうとするうちに、つくっているのはつくる場そのものだったことに気づく。今、その場は、人の死と向き合うための弔いの場でもある。ひとつの言語だけではわからなくなってしまった弔いの言葉を探すのは生者の劇場かもしれない。

川口智子

【劇場実験】『夜ヒカル鶴の仮面』

日時:2021年10月30日(土)  ※開演時間は決定次第公開いたします。

会場:京都芸術劇場 春秋座搬入口


作    :多和田葉子

演出・美術:川口智子

出演   :滝本直子(劇団黒テント) 

      武者匠(劇団 短距離男道ミサイル) 

      中西星羅 

      山田宗一郎


映像   :北川未来

舞台監督 :横山弘之(有限会社アイジャクス)

リサーチ・アシスタント:斎藤明仁(上智大学)

上演アシスタント   :奥田知叡(京都芸術大学大学院)


企画協力:Original Collaborator:Lim Yun Xin(作曲家・音響家/マレーシア)、Setsiri Nirandara (俳優/タイ)、曾景輝(振付家・コンテンポラリーダンサー/香港)、滝本直子(俳優/日本)


インタビュー協力:黄飛鵬(映画監督/香港)、Benjamin Ho(Paper Monkey Theatre/シンガポール)、Ladda Kongdach(Crescent Moon Theatre/タイ)、Sandee Chew(俳優/マレーシア)、桂薛媛元(立教大学大学院/中国)、黄丹丹(立教大学大学院/中国)、周浚鵬(俳優/台湾)、林孟寰(劇作家、演出家/台湾)、鵜澤光(能楽師・銕仙会/日本)、鄭慶一(ディレクター/在日韓国人3.5世)、崔貴蓮(韓服「蓮yeoni」/在日韓国人3世)、王侯偉(粵劇俳優/香港)


【フォーラム】「多和田葉子の演劇」

日時:2021年10月31日(日)  ※開演時間は決定次第公開いたします。

会場:京都芸術大学 一般教室(予定)

登壇者:谷川道子(東京外国語大学名誉教授)

    谷口幸代(お茶の水女子大学准教授)

    小松原由理(上智大学准教授)

    關智子(早稲田大学非常勤講師他)

    斎藤明仁(上智大学)

    川口智子(演出家) ほか


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主催:学校法人瓜生山学園 京都芸術大学<舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点>2020年度劇場実験Ⅰ(延期分)「多和田葉子の演劇 ~連続研究会と『夜ヒカル鶴の仮面』アジア多言語版ワーク・イン・プログレス上演~」研究代表者:谷川道子

協力:公益財団法人 くにたち文化・スポーツ振興財団、上智大学 ヨーロッパ研究所

この上演の制作のために、友人たちにオンラインインタビューを行いました。感謝。

黄飛鵬(映画監督/香港)

2018 年JCDN国際ダンス・イン・レジデンス・エクスチェンジ・プロジェクト日本/香港共同制作で出会った香港の映画監督。宮古島で2週間、香港で2週間のレジデンス制作。フェイパンは香港の未来を描く映画『十年』の監督のひとり。最初にあったのは、ロンドン~羽田の経由地の香港空港で、その時にフェイパンのお父さんが香港に初めて来たときの話を聞かせてくれて印象的。今回のインタビューでは、小さい頃、おばあさんが亡くなった時のことを聞かせてくれた。

Benjamin Ho(Paper Monkey Theatre/シンガポール)

2015年りっかりっか*フェスタ(国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ)のレジデンスプログラムで出会ったベン。毎日レクチャーを受けたり、子どもの演劇を4~5作品みながら、最終的に宿泊先の前庭で夜風を浴びながらビールを飲みながら喋り通していた。ちなみに、今回来日をお願いしていたタイのPumpもその時の大事な友人のひとり。その後、シンガポールに下見旅にいったときに再会。シンガポールの街のいろんな側面を見せてくれた。その時の料理の味や街の匂いを思い出しながらベンの話を聞く。「多言語の劇」をつくりたいと言うと、スッと理解してくれる、ベン。

Ladda Kongdach(Crescent Moon Theatre/タイ)

ラダは翌年の沖縄のWSのメンバーで、その年にWSに参加していた滝本直子さんから紹介されて、東京に遊びに来ると一緒にご飯を食べたり。やっぱり不思議なもので、一緒にご飯を食べるということをするとグッと距離が縮まるという人がいます。ラダから教えてもらったタイの精霊信仰の話がとても面白く、その後、北タイの祖霊儀礼について読むことになった。このあたり、制作にもかなりの影響力がある。

Sandee Chew(俳優/マレーシア)

2012年サラ・ケインの『洗い清められ』上演の時に、京都アートセンターに研修に来ていたサンディー。カンパニーの一員になったように一緒に上演に携わってくれて、しかもそのあと、当時私が働いていた東京の劇場、座・高円寺でも再開。不思議な縁だった。マレーシアでの活動を送ってくれたり、面白い戯曲を教えてくれたり、シンガポールに行っているときに会いにきてくれたりと、細く長い交流中。ゆっくり話をするのは本当に久しぶりで気づけば5時間にわたるインタビュー? というか、雑談? 女性のアーティストだけで取り組んでいるプロジェクトの話など。世界一長いといわれている500日のロックダウン中のサンディから元気をもらう。

桂薛媛元(立教大学大学院/中国)

今年の立教大学大学院の授業を受けてくれたケイさん。授業の発表内容も面白く、かつ、プレゼンに向けての最後の追い込みのやりとりが楽しかった桂さんにもインタビューをお願い。西安の結婚と葬送の儀礼について調べてくれた。印象に残るのは、結婚式で新郎が新婦の母に豚肉を送るという習慣や、新郎が新婦を迎えにいったときにハイヒールを探すくだり。結婚式でおこる意外にも暴力的な要素についても語ってくれた。

黄丹丹(立教大学大学院/中国)

その桂さんの同居人のコウさんにもインタビュー。黄さんは広東省のご出身なのだが、お母さんの出身地・江南省の結婚式とお葬式についてお話してくれた。結婚式の時に大根に石炭をつけて顔に押してもらう(新郎新婦が)、という習慣を聴いてびっくり。大根と石炭は誰の家にもあるべきもので、いろんな人がお祝いに参加がしやすいからか、生活が安定するための最低限の2つのものに恵まれるようにという意味があるのだろうか、などみなで考える。お葬式の家の外で演奏される楽隊の音楽もとても印象的。

周浚鵬(俳優/台湾)&林孟寰(劇作家、演出家/台湾)

2016年、若葉町ウォーフ(横浜)で日本語×広東語×英語版の『絶対飛行機』を制作しているときに、若葉町ウォーフに泊まりにきてくれたポンポン。おでん屋さんで自己紹介代わりにマクベスをやってくれたのが忘れられない。その後、台湾や東京で再会。台湾の結婚式やお葬式は“道”で行われていて、それが本当に印象的。それからお葬式で演奏されるマーチングバンドのようなもの。黄さんが教えてくれた楽隊も印象的だったけれども、こちらはまるでアイドルのような衣裳をきたパフォーマーたちで、もちろん現代化されている姿なわけだけれども、死を弔うエネルギーからは直接想像できないようで、とても面白い。

鵜澤光(能楽師・銕仙会/日本)

2017年香港で『#2 戀鳥歌-LUEN NIU GOH-』という作品を一緒につくった光さん。能のお話も、現代演劇の話も、美味しいごはんとお酒を囲んで楽しいお話をしてくれる光さん。素敵な、大好きな先輩です。お能の中で死や婚姻がどのように扱われているかをお伺いした。死体と死者(亡霊)の演劇的な違いについてはとても共感するところがあるし、具体的に制作に影響を及ぼすお話もあったのだけれども、これは上演をお楽しみに? 

鄭慶一(ディレクター/在日韓国人3.5世)

今年春に子どもたちのマチツクリ「まちクラ」を一緒につくった鄭くん。北九州出身で、在日韓国人3.5世。まちクラの打ち合わせのある日、「今日はこれからチェサだから、新しい黒い靴下を買う」と言っていて、それからチェサのお料理の写真を送ってくれて、これが美しいのなんの。在日韓国人の方々の生活の中には、今の韓国では失われているものが残っていたりという話も。

崔貴蓮(韓服「蓮yeoni」/在日韓国人3世)

その鄭さんのオモニさんのチェーさん。実は、まちクラでどうしてもの徹夜作業の時に、お家にお伺いさせていただいていて、その時にいただいたトックが記憶に残る美味しさでした。素敵なチョゴリを作っていらっしゃる崔さん。結婚式やお葬式だけではなくて、出産にまつわるお話や、蛙の親子のお話など、親子でお話をお伺いしていることもあり、ファミリー・ヒストリーのようなホッコリした気持ちに。

王侯偉(粵劇俳優/香港)

香港の親友。伝統演劇・粵劇(ユッケ)の俳優。男役もやるけれども、メインは女役のパリス。とにかく、特別な存在。光さんと同じく、粵劇でどのように死と婚姻の表象されるかを聴く。たまに、女役の歌を歌ってもらいながら、1対1の贅沢な粵劇講座。幽霊が棺を突き破って出てくる演出は是非見てみたい。

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制作ドキュメント

Week1

お稽古の始め方には決まりはないので、俳優と演出家とが双方に用意をして持ち込まれるものもあれば、お稽古場で自然発生的に生まれるものとある。今回の劇場実験は、制作前に研究者の方々の話を聞く機会もあったので、持ち込まれているイメージは豊かともいえるし、バラバラとも言える。

『夜ヒカル鶴の仮面』がとても難しい戯曲だと思うのは、もしかするとそのイメージのバラバラさにあるのかもしれない。上演に向かう過程で、ひとつの方向性にまとめようとすることが、この戯曲の魅力をそいでしまう。おもちゃ箱のように遊びにあふれるこの戯曲は、神話としての“荒唐無稽さ”を携えている。ところが演劇は生身の人間が目の前で演じていくので、俳優の中で腑に落ちていなければその荒唐無稽さは意味のないものになってしまう。どう出鱈目を積み重ねるか。

出鱈目の空間というのは、他者と出会うことによってはじめて立ち上がるように思い、稽古場の最初の2日間では俳優たちと一緒に仮面づくりをした。“仮面”。これもまた何をもって“仮面”とするかを定義してからでないと手をつけられないのだけれども。針金、アルミホイル、紙粘土、紙、グルーガン、アクリル絵の具、そんなものを使いながら、7つの仮面を作った。鶴、犬、狐、猫、猿、狼、魚。くにたち市民芸術小ホールのアトリエ(図工室)で、途中避難訓練に参加したりしながら、結局ちゃんと丸2日かかって7つの動物仮面を作った。お祭りの準備に似ている。お祭りの準備ってあまりしたことがないのだけれども。自分たちの弔いをするためには、まず、自分たちの弔いに使うものをつくらなければいけない。きっとそんな感じ。

台詞を覚えるとか、体のウォーミングアップをするとか、コミュニケーションをとるとか、そういうことも始まっている。これらすべてが弔いのための準備だと考えると納得がいく。弔いは突然くるものだから、すべては簡易に用意できるものであるはずだ。水とか塩とかタカサゴギクの葉っぱとか。弔いにしか出てこない道具もあるはずだ。白い提灯とか、紙の靴とか、あの世で使うお金とか。物に込められるタイムスケールを感じながら、土曜日の稽古の後には山田君と武者君と買い物に行った。ほとんど山田君が使うものなんだけれども、何人分?という衣裳の着数。来週からは、これらの物を稽古場に入れて、少しずつ劇を立ち上げていく。とにかくまだまだやることがたくさんあるのだけれども、これだけ忙しいのは、喪主が悲しみにくれないように忙しいのと同じなのかもしれない。(10月18日)

Week2

久しぶりにお芝居をつくっている(と思う)。この1年半の個人作業の間につくり方がどう変わることになるかとぼんやり考えていたのだけれども、やっぱり少し変わった気がする。演出という作業が面白くて仕方がない。形の見えないピースでパズルをしているような感覚で、そのピースがスッとはまってひとつの大きな絵が見えるのは、本番の日なんだろうな。凸凹の形は毎日変化している海の中を踊る蛸みたいな感じ。

お稽古場ではまず俳優たちが台詞合わせをしていて、その間はスタッフと打ち合わせをしたり、足りていない道具を探したり。今回は決められたゴールに向かって突き進むというよりは、思いきって迷子になるようにつくっている。弔いの儀式の仕方を忘れてしまった/失ってしまった子どもたち、所詮は人間でしかない私たち。動物たちはもっと自由だ。動物たちは「その気さえあれば人間になれる」。人間は動物の役を演じることはできる。

土日のお稽古は横浜にある若葉町ウォーフのお稽古場を借りて。日光と風の入る稽古場はやっぱりいい。長時間いても疲れないし、稽古場の集中がおおらか。密室のお稽古場には動物も寄り付かない密室に集まって互いに台詞を言うなんて人間しかしない。

北川さんが編集してくれた映像も入って、初めての通し。凸凹の色彩はまだ変化する。京都に移動して、春秋座の搬入口という空間ピース、そして劇場実験に立ち会ってくれる予定の40人のお客さんたち。もう入り口には戻れないほど、深いところまで迷い込んでしまった。出口はない。「外から釘付けになっている。」(10月24日)


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