<韓国・ソウル滞在雑記>

2019年1月26日(土)~2月1日(金)ソウルでのオープンワークショップとリサーチに行ってきました。

◇ことのはじまり

2018年10月、久しぶりにソウルを訪れた。ソウル国際舞台芸術見本市(PAMS)での1週間。活動のプレゼンテーションをし、いくつかの作品上演を見て、博物館や美術館にも足を運び、おいしい韓国料理を毎日食べ、たくさんの人に会った。

そのひとりが、クォン・ウニョン。

彼女の作品には、常に事件の当事者が登場する。障がいを持つ方。不当解雇された労働者。セウォル号事件の遺族。作品上演のためではないとても丁寧なリサーチを行っている。

プルコギを食べながらウニョンは私に2つのことを言った。

「サラ・ケインに興味がある」

「セウォル号事件のあと、私たちはその傷をないことにして元通りの生活をすることはできない。通りすぎてしまったことを元に戻すことはできない」

◇「事故のない事故の時間」

これは、エドワード・ボンドがサラ・ケインに贈ったことば。『4.48 PSYCHOSIS』の中にも引用されている。

数多くのサラ・ケイン戯曲上演を見ているニーナ・ケイン(演劇研究者)と2018年2月にトークを行った際、ニーナは「サラ・ケインの戯曲上演では、多くの場合、舞台がどんどん汚されていく」と言っていた。私は、「大事なのは、汚れた舞台が片付けられてまるで元通りかのような姿になること。劇が始まる時とまるで同じかのように見えても、劇が終わるころにはまったく別のものになってしまっている。それがサラ・ケインの劇」と答えた。

◇ドキュメンタリーであるかどうか

ウニョンは2013年に“ドキュメンタリー演劇”と銘打って活動を始めた。不当解雇された労働者の声を聴くうちに、演劇にはその声を拡張する機能があるのではないかという期待を持ち、当事者たちと共に演劇作品をつくり上演活動を始めた。その結果、ウニョンの“作品”群は文字通りの“ドキュメンタリー演劇”として評価されることになった。ウニョンは現在、障がいをもつ方々の劇場へのアクセスをテーマにして活動をしている。日中は障がいを持つ方の学校で働き、同時にリサーチチームを組織し、チェックリストを使って、大学路の劇場のアクセシビリティを徹底的に調べた。結果、118ある劇場のうち、アクセシビリティについてのすべての項目をクリアしたのはたった2つの劇場であった。障がいを持つ人の身体に触れながら、物理的に彼らの生活から劇場が遮断されていることを問題提起する上演をつくっている。

身体的に「劇場とはどういう場所なのか?」と投げかけていると感じた。“虚構”に“現実”を侵入させる。それがウニョンの方法なのではないか?

◇もうひとつの出会い

2018年8月末、韓国訪問のひと月ほど前。若葉町ウォーフで「小劇場ネットワークミーティング」に参加した。全国の民間小劇場にかかわる方々70名程度が集まっていた。そこで、鄭慶一に出会った。福岡県北九州市枝光にある枝光本町商店街アイアンシアターを運営している。商店街の道路を封鎖して、路上でダンスを踊ったりするフェスティバルを企画している。鄭くんの「まちなか芸術祭」の話で浮かんだのは、どっかの町の長い太巻きをみんなでつくるイベントだったり、秋刀魚を配ってみんなで食べるお祭りのイメージで、かっこのいいフラッシュモブのようなイメージは湧かなかった。どんな場なのか、気になる。鄭慶一が何を考えて、何をしているのか、とても気になる。「枝光来る?」の軽いお誘い。百聞は一見に如かず。10月頭(まさにソウル入りの数日前)、枝光を訪れた。

10月の第1週、訪れた枝光本町商店街アイアンシアターでは、アトリエ・ブラヴォの作品展示『大根おろし』を開催していた。作家と観客が何かを共にするために集まっている“場”に「劇場だ!」と思った。場をつくった人の顔の見える、温かい場所。劇場事務所を覗くと喫茶店のマスターよろしく鄭くんが働いている。ああ、これが噂の鄭くんの居場所ね。そして、鄭くんのいるアイアンシアターにふらりと顔を出す人がいる。縁側のような劇場事務所。アーティスト(来訪者)が町の人に受け入れてもらえるような仕組みを作っている鄭くん。“虚構”の“現実”への侵入?

◇“(劇)場”の話がしたい

枝光とソウル、それぞれの出会いがあり、翌週。

「カクカクシカジカ、“(劇)場”の話がしたいのだけど、一緒にソウルに行く?」

10月末には韓国語、日本語、英語が入り混じる3人での連絡合戦が始まった。

◇交流から、協働を目指す

2013年から香港の友人たちと交流を続けてきた。佐藤信さんが2003年劇団黒テントのために書き下ろした戯曲『絶対飛行機』を英語・広東語に翻訳し、2017年まで香港と横浜の往復を繰り返しながら交流を続けた。香港側のコーディネーターはドキュメンタリー映画監督の卓翔。俳優だけでなく、ダンサー、舞踏家、音楽家、そして広東オペラの俳優、DJなどいろいろなバックグラウンドを持つメンバーが1年に1回顔を合わせる。交流の場。深いつながり。

2016年からはJCDNの国際ダンス・イン・レジデンスに参加し、形を変えながら香港のダンサー、振付家、映画監督との作業が続いている。最初は交流であった香港とのつながりが、長い時間をかけて協働になる。そのために、最初の共同の体験から、自分たちのことばを紡いでいくことが大事だと感じながら。この辺りの詳しいことは<宮古島滞在記・断章>を。

2019年のクリエイションとして予定している『4.48 PSYCHOSIS』では前述のニーナ・ケインとの共同作業、これまで作業を共にしてきた日本のアーティストに加え、台湾からの出演者も招く。こうした活動を続けていくうちに、自分の作業は境界線上にあるのだと思うようになった。移動し続けること。TRANS-。そこで協働すること。

◇ソウルに集合する

メッセンジャーでのやりとりと2回のスカイプミーティングを経て、鄭くんは福岡から、私は東京から、ソウルに到着。さっそくのサムギョプサルとタッカルビ。明洞の街。渋谷みたい。ギラギラの看板と、軒を連ねて同じものを売る露店。思ったほど寒くない。

◇話を始める

自己紹介からそれぞれの問題意識の共有。ウニョン、鄭くんと情報交換が始まる。そもそも「私」はだれなのか。何をやっていて、今、何を考えているのか。「私」の地点から、語り始める。

ウニョンの発言;ドキュメンタリー演劇と銘打ちこれまで活動をしてきたし、これからもそれは続けていくつもりだけれども、その過程の中では「当事者の傷」を何度も開かなければいけない。それが当事者の目的にかなっていることなのか?

智子の発言;ドキュメンタリーであるのか、フィクションであるのか、それは手法の違い。「(劇)場がどのような場所であるべきか」を考えたい。活動のキーワードは“翻訳”。“翻訳者”であること。

鄭くんの発言;地域と劇場をつなぐ“翻訳者”である。枝光で取り組んでいることを共有することで、何か単純な解決法を提供することもできるかもしれない。3人のそれぞれの視点の違いみたいなものをそれぞれに共有する?

“ドキュメンタリー演劇”と“翻訳”というキーワードがどこかで共振する。

「翻訳がなければ、翻訳されるものは、翻訳の受け手にとっては存在しないものになる。」

「劇場にかかわるすべての人、作家・演出家・役者・観客が翻訳者である。」

◇また、“TRANS-”について

10月のPAMSにて活動を紹介するにあたり、自分の活動のタイトルを“TRANS-”とした。“移動の中にいる状態”を英語にしようと思って、最終的に“TRANS-”にたどり着いた。香港でのクリエイション、サラ・ケイン作品の上演、いろんなものが“TRANS-”してつながっていく。最近。韓国で始まろうとしている何かも、その延長にあることは間違いない。でも、どこからのこっちで、どこからのあっちなのか。どこにいるのか。幅の狭い境界線上のどこかなのか。少なくとも文字通り海をわたってソウルにウニョンと鄭くんに会いに来た。その共犯関係をもう少し掘り下げたいと思う。

◇話を続ける

ところで、私は韓国語を話すことができない。まったく。議論の中心は韓国語であるから、私は鄭くんに通訳をしてもらう。英語の通訳をすることはあっても、自分が通訳をしてもらう経験がほとんどなかったので、込み入った話をしようとする時にブレーキがかかる。日本語でも何を言っているのかわからなくなる。鄭くんが苦笑する。ウニョンの顔に?が浮かぶ。それでも、ことばを絞り出して話そうとする。だって、話をしたいのだから。ことばの問題、通訳の問題ではなくて、私は今何を話そうとするのか、それがいつだって大事。(少しの)反省と本当に深い感謝。

◇少し、演劇のこと

突然のようだけれども、演劇をつくるときのこと。私は、台本を前から読む。当たり前のようなことだけれども、当たり前ではないようで、大学で演習などをしていると、台本を後ろから読んでいる学生が多い。これは、控え目に言っても、「国語」という授業の成せる誤った技術のように思う。「作者の意図は?」とか「登場人物がこう感じたのはなぜでしょう?」とか。結果から原因を読ませるような国語の問題のおかげで、文章を後ろから読む、後ろの状態に合わせてどういうプロセスを踏まなければいけないのか逆算をして読む、という癖がついているのかと思う。

私は、台本を前から読む。必ず。台本を前から読んで行って、“エネルギーの変化”を読み込み続ける。(これが“行間を読む”というマジックワードの真意だと思う。行間には何も書いていないのだから。)エネルギーの変化というのは、方向性なのかもしれないし、質の変化なのか、量の変化なのか、その時々によるけれども、そこにグラデーションではなく変化のポイントが訪れる。台本は、演劇は、演技は、ストーリーではなく今まさに起こっている変化のプロセス。

ウニョンと鄭くんと3人で行ったオープンワークショップは、まさにこの結論なき議論の進行形。導き出したい結論のために議論をするのではなく、互いの持ちうる言葉を尽くして考え続ける場。積み上がっていくと思えば、まったく違う変化を遂げてしまったり、議論のテンポも速くなったり緩くなったり、場の感情もころころ変わる。これが本当に演劇のようだった。一本のお芝居のようなディスカッションの場。幕開きから始まって、休憩、そしてクライマックスのあとに早足でやってくる幕切れ。“お願い、幕を開けて。”

◇“場”を開く=もしかして、ドキュメンタリー/演劇?!

確かにキーワードはあった。

「ドキュメンタリー/演劇」「(劇)場」「翻訳」

まさに3人が集まる鍵となることば。

でも、3人が出会ったあとに、何を話すのかは決まっていない。

何でもあり、なわけでもないかもしれない。

でも、本当に私たち3人が話そうとすることが何なのか、

結論から遡ることはできない。

戯曲と同じ。

この協働/プロセスは、用意された答えに辿り着くためのものではない。

どうなるかわからない。

今いる場所が回り道なのか、近道なのか、それもない。

私たちが、出会って、話を始めること。

今の地点から、語ること。

当<事・時>者であること。

自分や他人の過去/歴史に頼らないこと。

本当に話したいことを話せる“場”を開くこと。

それが“劇場”であるとき、“翻訳”というレンズが存在すること。

私たちが“翻訳者”となり得ること。

伏線を引くのではなく、“劇”になる。

誤読も、接続不良も起こる。

ひとまず、“劇のない劇の場所”としてみようかな。

2019年夏(予定)に続く。。。

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